写真の余白シリーズ

Ref-rection 写真の余白 ドローイング 蜜ろう画 2025 2024 2023 2022 2021 2020

2024年には、福島広野での「余白のアートフェア」への参加を機に、新たなシリーズ「写真の余白シリーズ」を始動。かつて震災地域に住んでいた記憶と向き合うため、当時の写真を素材にした作品を制作しました。このシリーズでは、古い写真やドローイングを木片やアクリル板に転写し、それらを関連する場所に設置することで、記憶と場所をつなぐインスタレーションです。
写真は一瞬を切り取るものですが、その余白には物語があり、人はそこに記憶を重ねます。私はその余白を可視化し、共有することを目的としています。これは、かつてそこに人がいたという実感を生み出す行為であり、記憶と場所の結びつきを強めるものです。
ボルタンスキーが自身の記憶を表現したように、「写真の余白シリーズ」はアイデンティティを探る試みです。そして、私の作品では制作のプロセスそのものも重要な意味を持ちます。過去を記録し、可視化するだけでなく、その制作過程において生まれるコミュニケーションを大切にし、アートを通じた対話を生み出すことを重視しています。
記録やメディアは単なるアーカイブではなく、コミュニケーションの手段でもあります。個々の記憶や感情を共有し、新たな関係性を築くという本質的なアートの役割によって、社会的意義を持つ作品を生み出すと同時に、表現の新たな可能性を探求していきたいと考えています。

1,“母と家の記憶”

2024年制作。古い写真をドローイングしたものを木片に転写したものを実家の庭や路地に並べてみる。

制作ノート

私は母と古いアルバムを見ながら、当時を振り返る。祖父や祖母の若いころ。近所の子たち。当時の祖父は、自分の子もそうでない子も同じように膝に乗せ、抱っこしていた。母はそれを「自分は愛されていない」と思っていたらしいが、改めて写真で見ると、それが勘違いだと気づく。「アイデンティティが崩れたわ…」そう言って母は笑った。
写真の中の幼い母は、右手にお人形を大事そうに抱えて、気をつけの姿勢で庭先に立っていた。「これは、となりのゆみちゃんのお人形。写真を撮るのに貸してくれたのよ。嬉しかった。」私はアルバムの何枚かの写真をドローイングして、木片に転写した。母は、写真を一枚手帳に挟んだ。後になって、その瞬間の動画を撮っておけばよかったと思った。
出来上がった作品をインストールして写真を撮る。家と母の記憶に私の記録を重ねてみるのだ。
実家はずいぶん前に建て替えてしまったけど、庭や路地はそのまま。作品を置いてみると、見たことのない当時の風景が浮かび上がってきた。
(『母と家の記憶』制作記録/2025)

その他の写真

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2,“覚えていない私の記録”

2024~2025年制作。震災で大きく変わった名取市の風景をGoogleマップで探しながら、かつての生活の断片をたどる作業を行いました。その中で、過去の写真をもとにドローイングを制作し、それをアクリル板に転写。
ドローイングを通して景色を見ることで、記憶と現実の間に新たなつながりを生み出しました。

この作品は、私自身の失われた記憶を可視化すると同時に、写真が持つ時間の断絶と継続を問いかける試みでもあります。

制作ノート

/4才のころ、私は名取市(宮城県)に住んでいた。そのころの記憶はほとんどない。数少ない覚えている記憶は、家の前の道路と兄のお迎えに行くほんの数メートル。そして、イナゴを取った田んぼぐらい。
写真の中には、ひとつ上の兄とそっくりな私。写真の中の4歳の私は風呂敷マントで三輪車をガン漕ぎしていた。私はスーパーマンになりたかったのか…と思ったが、三輪車を漕ぐ私の視線の先には、補助輪付き自転車にのる兄がいた。
私は、スーパーマンになりたかった兄にあこがれていたことを思い出す。当時の私にとって、兄はスーパーマンだった。

(『覚えていない私の記憶』制作記録/2025)

関連作品

3,“覚えていない私の記録2”

2024~2025年制作。

仙台での覚えていない記憶を写真でたどった作品。第二弾。多くのドローイングと共に制作した。2025年

制作ノートと関連作品